夢の続きは

お題「最近見た夢」

 

赤茶けた機械仕掛けの街。

僕たちが今、生きている時代ではないということが一目で分かるような、

赤黄青と明滅する広告のネオン。視界の遠く、等間隔に立ちのぼる薄紫の煙。

恐らくは夜なのだろうが空の色はわからない。

まるで深い森の樹枝が視界を覆うように

所狭しと建てられたレンガ造りの巨大建造物の群れがそれを確認することを許さない。

自然光の射さなくなったかわり、

至る所から上を目指して伸びるライトの光や

建造物から放たれるチカチカと眩しい色とりどりの電光が

地上の暮らしを彩っていた。

ゆっくりと貨物列車が走る高架下に僕は居た。

隣には僕より少しばかり背が高くて、くりくりとした目を持つ綺麗な女の子。

微笑みながら、時々吹く乾いた風に長い髪をなびかせていた。

この娘との関係は曖昧だが、顔なじみらしかった。

しかし、会話から察するに恋人同士という関係ではなさそうだ。

東西を横切る高架線をくぐって僕たちは歩く。

どこへ行くのかはわからない。

とりとめのない会話を交わしながら賑わう街をひたすら歩く。

 

 

「明石の街並みも変わったね。」

 

 

会話の中で出てきた一つの言葉に耳を疑う。

明石。どうやらこの街は明石と呼ばれるようだ。

僕はその街を知っている。

しかし、元の街の姿とはどう考えようと似ても似つかない。

この場所は無理やり当てはめれば

未来の世界ではあるが、

ロンドンとかニューヨークとかそういう場所なのだと理解して今の今まで歩いていた。

唐突に出てきた馴染みのあるその名前が夢の中に造られた街の様相を少し変える。

何かに突き動かされるかのように、賑やかな通りを裏に抜ける路地へと歩みを進めた。

横丁。

先ほどまでのどこか無機質な世界とはうって変わって温かみのある空間がそこには広がっていた。

「ここでたこ焼き食べたの覚えてる?」

隣を歩く彼女が目をらんらんとさせて声をかける。

正直なところ、覚えているか覚えていないかどころの騒ぎではなかったが

僕はコクリと頷いて「美味しかったね」と返事をする。

流れで、名前もないたこ焼き屋で、たこ焼きを二つ購入することにした。

僕が懐から取り出したのは硬貨や紙幣ではなく、二つの青い発光体。

店主の顔は「おっさん」ではなく「おっちゃん」と呼ばれるような柔和な笑顔をたたえた、どこにでもいるような中年の男といった感じだった。

 

ーそこで僕は目を覚ましてしまいました。

あの娘は誰なんだろう。あの街は何だったのだろう。

また夢の続きを見られるといいな。不思議ではあるけど楽しい夢でした。

たこ焼き、食べたかったな。

起きてから探し始めて

この画像が近かったけれども

実際はもっと赤茶けていて。

至る所に歯車が回転した機械仕掛けの茫漠とした世界でのお話でした。

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アーカイブシンガーソングライター


夜空に色を足す

もし色がなかったら


眠った街を仕掛ける

もし街がなかったら


遥か彼方で君の泣き声がするなら

昨日見た世界に熱い夢を抱く


その一瞬を包み込めるほどのなにかを


夜空に色を足す

もし夜空がなかったら


眠った街を仕掛ける

もし街が眠らなかったら


遠く夢見たあの景色すらも

全てが嘘になってしまう


昨夜の嘘すらも街にのまれてしまう


はざま

皆さんは、

「こっち」と「そっち」どちら側に属してますか? 

と聞かれたら何と答えますか?

 

僕は「こっち側」です。

と答えるでしょう。

 

しかし、世の中の大多数の人は僕の言う「そっち側」に属していると思います。

 

「こっち」と「そっち」

一体何が違うと思いますか?

 

例えば、「貧乏」か「お金持ち」

 

僕は前者ですね。つまり「貧乏」

「こっち側」です。

 

「ぶさいく」か「イケメン」

これも前者です。

 

つまり何が言いたいかというと「こっち側」というのは

貧乏でもてなくて馬鹿で

いわゆる劣等生

 

「そっち側」というのは

金持ちでもてて賢くて

優等生ですね

 

しかし「こっち側」と「そっち側」というのは

何も見た目とか学歴とかといった物質的なものだけではなくて、

内面的なものにも当てはまると思います。

 

例えば、「こっち側」は

ネガティブで卑屈で内気で…

言い出したらきりがないですね。

 

こっち側の人間はこっちの世界にいて

そっち側の人間はそっちの世界にいて

 

あまり交わることがないかもしれません。

 

そういう意味で言うと

「こっち側」の中でも優劣をつけたりして

「こっち」の中では優れてる方とか、小さいコミュニティの中でも線を引いたりもできますね。

 

実際僕も「こっち側」と言いましたが、

実家は片田舎で二階建て庭付きの一軒家ですし、一応大学にも通っています。

顔は…まあ、おいときましょう。

 

結局は勝手に自分でこの世界に線を引いてるんですよね。

自分はあの子より優れている。

あいつには適わない。

 

もしかしたら僕も「そっち側」かもしれません。

 

自分の中で勝手に優劣をつけて、

理想と現実とのギャップに苦しみ

 

皆何かしらのはざまに存在しているのではないか

 

誰しもが「こっち」と「そっち」のはざまでもがき苦しんでるのではないでしょうか

 

いち早く夢のはざまから抜け出して、正真正銘の「そっち側」に属してみたいものですね。

 

海いきてえ

お題「1か月自由に休みが取れたら何をする?」

一か月自由に休みが取れたら何をするか。。

自分は学生なので二か月くらい休みがあったんですが、特に何もしておらず、1人の日はだらだらと本を読んで過ごしたり、

テレビ番組をぼーっと見たりっていう過ごし方をしていました。

このお題に投稿されている他のブログを拝見して、なんてバカバカしい一日を過ごしているんだ自分は、とハッとしてしまいました。

まあハッとしたのはウソなんですけど。というのもやっぱり毎日がこういう生活だと刺激もなくてつまらないと思うんですが、たまに見るテレビや本って思わぬ知識を与えてくれたりして自分の見識が広まっていくのを直に感じられるんですよね~。

最近だと、旅行番組を見るのにハマっています!特にさまぁ~リゾート。

「リゾート地なんてどこも大体一緒じゃねえかよ。グアムもハワイもセブ島も青いんだよ。わかってるよ。」と思っていたんですが、ガチガチのリゾート地紹介というわけではなく、ゆる~く笑いも交えながら進行していくのが好きなんですよね。自分が行ったらこんなことしてみたいなって思わせてくれるようなアクティヴィティの紹介方法とか凝ってるな~って思います。。

夏にセブ島に遊びに行く予定があるので、なーんかああいうのゆったり見てるの好きなんですよね。

でもやっぱり海なんで、そろそろ筋トレも始めないとなって思ってます。

アブローラー持ってるんですけど、あれって腰曲がりすぎて死にそうになるんですよね。つらいです(’-’)

次にまた一か月休みがあったら、もっと色々な国にいってみたいなあ。そのために今後もぼーっとテレビ見て旅行雑誌なんか読んで知識を深めておこうと思います。。

 

超芸術トマソン

皆さんは街を歩いていて、くそほどいらないなって思う構造物をみたことはありませんか?

 

例えば、天井に向かって伸びる階段であったり(登っても頭を打って終わり)、ビルの上のほうに設置されたドア(出ようとすれば死ぬ)、自転車置き場などに設置された雨除けにもならないくらい短いヒサシなど。。

このように不動産に保存されている無用の長物を超芸術トマソンと呼びます。

この概念は日本の前衛美術家である赤瀬川原平らによって発見されました。

その語源は野球選手、トマソンから来ており、豪快な空振りを見せるのに関わらず四番バッターを任されたその芸術的なまでのムダさ加減からきていると言われます。

そう、トマソンとはずばり究極のムダなのです!!

しかし、その芸術性は時に人を大きく魅了するのです!

 

思えば、わたしたちの人生の多くはムダで構成されているような気がいたします。

わたしたちが楽しいと感じるのはバカをやっている時や気の合う仲間とくだらない話で盛り上がりながら酒をかっくらう時ではないでしょうか。(もちろんその他を挙げればキリがありませんが。。)

 

それらは効率を求める上では完全にムダです。勉強したり、自分磨きに邁進したほうがよほど自分のスキルアップにつながるでしょう。しかし、そればかりに気を取られていてはアタマがパンクしてしまいますね。そんな時に心から笑えるバカ話やムダな話は効率を追い求めるよりも大きく私たちを成長させてくれることがあります。そんなムダな話を友人や彼女とするときのストックとして「トマソン」の概念を頭に叩き込んでやってください!

 

「この前、住宅街の裏路地を眺めていたら、天井から伸びる、地面まで届いていないハシゴを見つけたんだよ。落ちたらありゃ死ぬよ笑」なんて笑いながら、そのトマソンの写真を見せてやりゃあいいんですよ。もうあなたはコミュニティいちの人気者間違いなしですね。学生なら体育祭の組体操でトップに君臨できますよ。ええ。ゲームや昨日見たテレビ、恋人の話、で盛り上がってるところにいきなり「トマソン」の話をねじ込んでくる奴がいたらそりゃもう尊敬ですよ。なんだこいつ面白いな!トマソンを探しに街に出よう!となるに決まってます。「書を捨てよ、町に出よう」という寺山修司の本がありますが、捨てましょう!(書ですからね。)気の合う仲間を見つけ、街に繰り出しましょう!必ずあなたの成長に欠かせない冒険が待っているでしょう。そして街に隠された「トマソン」を見つけ出し、むだだなあと笑いましょう!

 

トマソンの魅力って、それは異常なまでのわけのわからなさと暇な時にでも探せる簡単さが大きいんですよね。恋人や好きな人とのデート中に間ができちゃうことってありますよね。ついつい、「さむっ」とか「あっついね今日」とか天気予報士みたいな発言をしがちで先に続かず、お互い、次の一言目はなにがいいだろうか、と悩んでしまいますよね。そんな時に「トマソン探そうよ」と言われたらどうですか?ますます惚れますよね。完全に。

隠れミッキーが見つかった時、すごくうれしいし一緒に行ってる人と共有したい!って思いますよね。それがディズニーに行かなくても出来るのだからこれ以上素晴らしいことはない。至上の一言。

 

だから大きな壁にぶち当たったり、悩んでる人はぜひトマソンを探しに街に出かけてみてください。春には陽のかおりを感じながら、梅雨には雨に濡れた路地をるんるんと歩きながら、夏には薄着の美女を探しながら、秋には銀杏並木や紅葉に目を向けながら、冬にはイルミネーションで彩られた街路樹の光を浴びながら。きっとその経験はあなたを大きく成長させてくれますよ!

 

shivery winter day

Your words still come cross my mind,

it's been a long long day since you've gone far away

Seeing the stars simmering on the lake

Where are you...

The whisper's melting into pale moon light

I won't fall a sleep

Cuz I can still remember your smile in old days